「ここにだけ、応募しました」──五反田のお寺で、アルバイトから正社員になるまで

レッド

written by 五十嵐清美

妙建山 本立寺

 

私、正社員向いてないかも。

——まずは、本立寺に入るまでの経歴を教えてください。

高校を出て、4年制の大学に行きました。ちょうど大学4年生の時がコロナ禍で、就活には苦戦しました。生まれが千葉にある田舎なので「東京に出たい」という強い気持ちがあって。就活の時から仕事選びの軸は、勤務地が一つの重要なポイントでした。なんとか五反田にある企業に入社したのですが、肌に合わず退職。営業職があんまり合わなくて。そこからはアルバイトや業務委託で働いていました。時代的に色々な働き方が許容されてきたこともあり、フリーや掛け持ちで、定職につかない方が自分には向いているんじゃないか、とまで思っていたんです。それでも、大学まで行かせてくれた両親に申し訳ない気持ちもあって。なんだかちゃんとしなきゃ、という葛藤はありました。

——うまくいかないこともあった、と。

イラストなどが得意なことをきっかけに、業務委託先でSNS運用の投稿画像の制作や、アイコンなどのイラストの作成を経験させてもらっていました。その後に自分でお仕事を受けるようになったのですが、お金が払われなかったり、飛ばれてしまったこともあって。個人事業主として軽んじられているような体験を何度か経験しました。今では人生の勉強だ、と思えるけど、当時は結構ショックでしたね。だからこそ、後ろ盾がいる環境ってすごく大事なんだなということも学びました。

 


この求人は、きっと中の人が書いている。

——お寺の求人を見つけた時、どんな印象でしたか。

正直、お寺かどうかはあまり見ていなくて。一般事務や総務のアルバイトで探していたんです。本立寺の求人に出会ったのは初秋くらい。見つけた当初から気になっていましたが、タイミングがあわず、一度は応募を見送りました。その後、再度求人募集をみつけてなんだか運命みたいなものも感じました。一番の決め手は、ここだけは「中の人が書いている感じ」がしたこと。誰かに頼らず、ありきたりな文章でもなく、自分の想いをちゃんと載せている企業さんだなという印象で。働くことに自信がなかった自分の不安に、ここなら向き合ってもらえそうだと感じました。まだ受けてもないのに、求人原稿の遍歴を話せるぐらい、何度も読みました。「落ちたら仕方ない。」と思って、受けたのはここだけ。ここ以外見てませんでした。

2次面接の時、実は気持ちが少し滅入っていたタイミングで。住職に「今まで経験してきたことに無駄なことなんてないから」と言われた時に頑張ろう、と思えたんです。

1年ほどアルバイトで勤務したのち、正社員になりたいと自分からお願いしました。正直、自分でもびっくりしています。最初の会社でうまくいかなかった経験から、週5フルタイムで働く勇気がないという不安がずっとあったんです。でも、本立寺ではアルバイトの時から週4〜5日で入っていたので「自分、働けるじゃん!」と自信がつきました。

皆さんの人柄も長く働きたいと思った理由の一つで。中島副住職と伊藤さんを含めた、尊敬できる方々に出会えて、年齢を重ねることが楽しみだと思えたんです。「こういう大人になりたいな」と思える存在に出会えたのは、人生で初めての経験。体調を見ながら支えてくださる皆さんの優しさあっての自分の心の安定だなと、すごく感謝しています。

言われたことは1回で覚えて、誰かが疑問に思った時に引き継げるようにすることが私の仕事のテーマ。お掃除とか事務業務とか、毎週ある法事の準備など仕事は多岐に渡ります。引き継ぎがうまくできるようになると、私も一人で抱え込まなくて済むので助かるし、伊藤さんや副住職が動きやすくなって、お寺自体が良くなる。そのバランスを取りたいなと思って仕事をしています。尊敬できるお2人なので、自分も頑張ろうと思える。社員になったから、もっと考えながら過ごそう、と思っています。

本立寺のすごいところは、みんなが当たり前にすごく感謝してくれるところです。私、自分の部屋の整頓は苦手で、そんなに得意じゃないと思っていたんですけど、人と共有するところはピカピカにしたいタイプ。掃除が終わりましたと言ったら「ありがとう」と言ってくれたり、ピカピカにすると「隈元さんやっぱり違うね!」と言ってもらえたり。感謝されるのは、やっぱり嬉しいですよね。

お寺の参道は四季を感じられる自然豊かな場所。歩いているとスカーッと抜け感があって、田舎の風景を思い出せるような空気感があるのも、勤務先としてのお気に入りポイントです。

 


全ては、縁(円)になっている。

——本立寺さんに入ってから、印象に残っている言葉はありますか。

「全ては縁になっている」という言葉です。「自分が誰かにした良いことも悪いことも、必ずしもその人から返ってくるわけではないけれど、巡り巡って、別のところから自分に返ってくるようになっている」と教えていただきました。これまでうまくいかなかったことも、その過程が必要だったんだな、と思えるようになったんです。その言葉一つで、これまでの色んなものが解けた感じがして、お寺ならではの気づきかもしれないですね。

お寺だからこそ学んだこととして、もう一つあります。安易に墓じまいを選択しないということです。私は一人っ子で、親戚にも子供があまりいないんです。お年玉をもらう時に「老後よろしくね」と言われていたのを子供ながらに覚えていて。(親戚全員を私が看取り続けるのか・・?)という不安をどこかに感じていました。みんながまだ健在なうちに「墓じまいしちゃえよ」という考えを持っていたんですが、ここに入って永代供養や樹木葬の知識も深まったし、選択肢も増えた。住職や副住職が、体と心を全部使ってお作法をされているのを見ると、「そんな『しちゃえよ』みたいな軽いことじゃないんだ」と。

魂は目には見えませんが、不思議なことが時々起こります。例えば、埋葬やお墓じまい作法の時にお墓の周りに蝶が飛んでいる事が多かったり、もう誰も見る人がいないお墓の墓じまい作法をする日に、大雨になって中止になったりすることもあります。そうした見えない何かに導かれる瞬間を目の当たりにすることが増えて「先祖があっての自分だ」という意識も、どんどん強くなってきました。お寺につとめなければ、出会ったことのない先祖の存在を気にすることなんてなかったかもしれません。今を生きる私にできること、これからも向き合い続けていきたいと思います。

 


自分のできることを自覚したら、生きる自信が持てた。

私は最近まで、自分が想像していた大人になれていないと自分を責めてしまう時がありました。「もっと誰かの役に立ちたい」と思っていたけれど、自信もなかったし、もう社会人なのに、大人なのに、自立できていないという不安もあった。でも、ここで働きながら心の余裕を持てるようになると、自分が出来ることに気づけて自信が持てるようになりました。「自分は生きていけるんだ」という思いが深まり、自立に繋がって、「私らしさができていくことって、素晴らしいな」と考えられるようになったんです。

人生で初めて、私らしさができたのが、この職場でした。

入る前は、お寺という業界自体が未経験で、日蓮宗の存在を知っている程度だったので不安もありました。でも、どこの会社も大切にしているものや考え方があるので、結局は一緒なんじゃないかと思います。人と関わりたい、繋いでいきたいという思いがある人には、お寺はすごく良い職場になると思いますね。ここに入って「知らないことは恥ずかしいことじゃない」と学びました。歳を重ねていっても素直に教わったり、明るさや愛嬌を大切にしながら、お寺と一緒に成長していきたいです。

 

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