自分の気持ちに正直に!グローバルパートナーズ気鋭社員の仕事へのスタンスとは

シルバー

written by 大西マリコ

2009年の創業以来、デジタルマーケティング事業や海外進出支援事業を推進し、10年以上走り続けてきたグローバルパートナーズ株式会社(以下GP)。日本の若者と世界を繋げる架け橋となるべく、山本康二社長をはじめ75名の社員たちは日夜仕事に励んでいます。

今回は異色の経歴を持ち、独自の信念を貫きながら活躍を続ける高野愛生さんにお話を伺いました。1冊の本が書けそうなほど濃厚な人生から、山本社長への気持ちや働くことへのスタンスなど、盛りだくさんの内容となりました。

高野愛生(たかのまなみ)さん

高野愛生(たかのまなみ)さん

福島県出身。GP入社後、ドバイ勤務を経て現在はグローバル人材事業を担当。波乱万丈の人生を歩んできたスーパーウーマン。親から「やるからには1番になりなさい!」との教育を受け、何事にも常に真剣に向き合い続けて各方面で大活躍。人生のモットーは「人と同じは嫌。目の前にきたワクワクや降ってきたチャンスには全部のっかる」。

中学校に行ったのは5日間だけ!
驚きの経歴からGP入社までの軌跡

 

――― GPに入社するまでのご経歴をお伺いしたいのですが、その前にファンキーな幼少期を過ごしていたと社長や他社員さんからお聞きしました。小さい頃はどんな子どもだったんですか?

小学校時代は勉強もスポーツもできるおてんば娘(良く言えば好奇心旺盛な子、悪く言えば問題児)でした。中学生になり、入学式と初日登校をしましたが「素行不良」という理由で教室にいれてもらうことができませんでした。

素行不良と言っても、元々人より髪や目の色素が薄く若干茶髪で茶色い目をしていて、ひざ下スカートは動きずらいしダサいからスカートを短くして靴下は流行りのルーズソックスを履いていただけ。(笑)

それに対して犯罪でも犯しました私?と思うくらいの怒り方や扱いをしてくる大人(先生たち)や、意味のない規則を守ることが当たり前、守らない人はおかしい人みたいになっているその空間が「気持ち悪っ」って感じたんですよね。

「なぜそれがダメなのか」をきちんと説明してくれる大人がいて納得させてくれていたらその時の私の考えは変わったかもしれませんが、それを説明できる、してくれる大人に出会えず、ただ「先生に怒られるから」といった理不尽な理由になんとなく従う集団の一員にはなりたくない、そんな場所に行くのはいやだ!勉強もスポーツも他でできるし!と中学校に行くのをやめました。(笑)

おかげで中学生のときからハワイに留学させてもらったり、ヤンチャな経験も沢山して、人より早くリアルな社会勉強させてもらったと思ってます。中学校に行かなかった決断は今でも全く後悔していません!

 

――― 信念を貫き、中学校は5日間しか行かなかったんですね!中学生以降の話も教えてください。

高校には行きませんでした。逆にお金があったらなんでもできると考えて、15歳でお金を稼ぐ決断をして建設業を3年経験しました。

その後、キャバクラのスカウトがきっかけで上京して、NO.1になるため、その座をキープし続けるために水商売を死ぬ気でやっていたんですけど、22歳の時に東日本大震災が起きて……。自分が遊んでいた福島の場所が津波で一瞬でなくなり、昔からの友達は急に連絡が取れなくなったりして、「明日も生きている保証はない」というのを身をもって体験しました。

そう思ったら、いつか海外移住しようの“いつか”を「いつかとか言ってないで今!にしよう!」」と、東日本大震災から3ヶ月後にはアメリカにいました(笑)。英語は話せなかったのですが、当時キャバクラで稼いだお金が貯まってて、使う暇がなかったからお金だけはあった。だから「海外移住するならどこだ?海外=アメリカっしょ!」みたいな単純なイメージからまずはアメリカに行ったんです。

日本人が行きがちなのはNY、LA、San Fran辺りだけど、私は子供の頃からただなんとなくみんなと同じことを選んだりするのが嫌だったので、日本人が一番行かないアメリカの発展している都市を調べてマイアミに行きました。マイアミのあるフロリダ州って、犯罪の検挙数が多くて留学先や旅行先にはおすすめしない、日本人もいないっていう話を聞いて、「そこしかない!フロリダのマイアミだ。私の名前と名前が似てる、ふふふふ」って選んだんですよね。

 

――― 噂通りファンキーすぎます!アメリカに移住した後はどのような生活をしていたのですか?

毎日クラブ通いしていました(笑)。頻繁に行っていたクラブで仲良くなった外国の方に、「マナミも英語しゃべりたいんだったらインターナショナルスクール来た方がいいよ」って言われたから翌日お金を払って入学して、1、2ヶ月勉強したら英語を喋れるようになりました。

同時にその頃、学校でイタリア人の彼氏ができてしまい、彼がイタリアのトスカーナ州の水道供給会社の跡取り息子だったんですよ。その彼がイタリアに帰らないといけなくなったんですけど、「マイアミラブで終わらせたくないから、一緒にイタリアついてきてくれ」みたいになって。「旅行で人気が高い国にイタリア人と一緒に行けるなんてこれ以上のチャンスないっしょ〜!」てふたつ返事でついて行きました。

そしてイタリアで彼の仕事をなんとなく手伝ってたんですけど、プロポーズされちゃって。「まだ若いし、結婚したくない!」って断ったら気まずくなっちゃって……。 でもまだEUのビザが残っていたからマルタ共和国に行ったりイギリスに行ったりしてEU中を満喫してました。

ロンドンがとてもインターナショナルな街で、日本食材や飲食店が多かったり公共交通機関が充実していたりして日本人の私にとって住みやすかった。「ここで働きたい、イギリスにずっといたいなぁ」と、そんな風に考えていた時に突然1本の国際電話が掛かってきたんです。

 

運命の導きで出会った山本社長
「神対応」から面接なしで即採用に!

 

――― 「突然の国際電話」という、まるでドラマのような展開。それは誰からのどんな内容だったんですか?

電話の向こうから聞こえてきた声は姉のものでした。「今何してるの?」って。私は「相変わらず地球で遊んでるよ〜」と答えたら、「これからドバイに行ってくれない?」と。

姉のお店のお客様が、ドバイで仕事をしてくれる人を探していたそうで、そのお客様というのが、当時は知らなかったのですが山本社長でした。

 

――― 後につながる運命の出会いですね!その電話がきっかけで帰国し、 GPで働くことになったということでしょうか?

いえ、電話ではさらっと話を聞いただけで、実は山本社長に会ったのは偶然でした。私は毎年どこに居ても年末には日本に帰るのですが、その年末に姉の居酒屋でバイトの子が飛んじゃって「あんた帰ってきたなら手伝いなさい」って言われて、深夜2時の閉店まで手伝っていたのですが姉が酔いつぶれまして……。明け方になれば姉も目を覚ますだろうと思い、私はそのまま店内に残っていたんです。

すると、確か明け方の4、5時頃に「お店やってますか?」と声が聞こえてきて、扉の方を見ると山本社長と長身の部下2人がお店に入ってきました。当然、私はまだ山本社長のことを知らないので、「お店ならもう終わってます、ついでにここの店主も終わってますけど」と伝えたら、なぜか席に勝手に座ってメニューにもない「卵かけごはんください!!」って言うんですよ。

え〜!!と思いつつも、「普段姉がお世話になっているお客様かもしれない……」と、そう思ったら身体が反応していました。店のことは分からなかったので、結局コンビニに行って材料を買って3人前の卵かけごはんを作りました。

その時、すでに山本社長は姉から私のことを聞いていたようで、お店での対応なども見ていたようです。臨機応変な対応が社長には「神対応」だったみたいで。その後に会社見学に行って、GPでの採用が決まりました。

 

――― お姉さんの電話と山本社長との偶然の出会いをきかっけにGPに入社し、当初の予定だったドバイではすぐ働くことになったのですか?

いえ、それがすぐにドバイに行くと思って帰国したものの、実際は事情が違っていて……。GPは実力主義なので、いきなり入社してすぐドバイに行くのは他の社員達が納得しないという話になりました。山本社長からは「他の社員を納得させるために実績を出してくれ」と。「まずは、回線事業のテレアポで1番になってくれ」と言われました。

私としては、寝耳に水のできごとでした。でも、山本社長の言葉ってその気にさせるところがあるんですよね。人柄が、いい意味でずるいというか(笑)。他の大人に言われていたら絶対しなかったんですけど、山本社長から言われたのでやる気を出してテレアポに取り組みました。

その結果、ナンバーワンになる手前までいったのですが、実はトップ目前で「サービス内容がお客様のためになっていない、お客様へのトーク内容と実際の内容が異なってる、こんな商品もう売れない」という理由でストライキしたんです(笑)。 

山本社長に「めちゃくちゃ怒られるかな?」と思っていたらまさかのその逆で!「顧客目線でいいことだ。結果も出したし、その顧客志向があるならもうドバイ事業に行ってOK」と言われてドバイ事業部に入りました。この一件があったおかげで、私の中では山本社長がさらに信用できる大人になり、人生の中で大事な人になりました。

 

――― すごい!3ヶ月で結果を出して、山本社長との絆も一気に深まったのですね。そしてついにドバイに行くことになったわけですが、ドバイはいかがでしたか?

ドバイには行ったんですけど、会社には行かずに飛び込みで営業や現地の方と関係構築の方に力を注いでいましたね。せっかくドバイに滞在しているのに、他の社員の方たちは会社で電話ばかりしていてもったいないと思ったんです。「それじゃあ日本にいるのと変わらないじゃん」って。

私達がドバイに駐在している意味って、未開拓の地で知識をつけて人脈作って、ここでしかできないことをやることですよね。会社が砂漠のど真ん中にあって中心地からだと往復2時間くらい移動に掛かるんですけど、その時間を使って毎日街中のリテールショップに飛び込み営業や聞き込みするほうがよっぽど意味があると考えていたので、自己流を貫いていました。

結局ドバイには7年くらいいて、毎日辞めたいと思うほど辛い日々や大変なことも沢山ありましたが今では本当に良い経験をさせてもらったと思っています。

ドバイから帰ってきてからはGPでグローバル人材事業に従事していますが、私がドバイで作ってきた人脈や経験は将来に活かせるので。それで今は頑張っています!

 

「穏便な人生なんてつまらない!」
あえて目標をもたずに全力で人生に挑む

 

――― 入社からドバイ駐在時のお話まで、本当にドラマのような人生ですね。これまで紆余曲折あった中で、GPだからこそ経験できたことや大変だったことがあればお聞かせください。

正直に言えば、GPには反面教師がたくさんいました。なんというか、頭が固いというか……ただ、根性論はすごい!寝ずに仕事したり、社長からの無理難題でも「ぞす!」(※GP用語で「はい」の意味)と言って仕事に取り組んだり。すごいんですけど、私はその姿勢は違うと思っていました。

YESマンになることが必ずしも社長のため、会社のため、顧客のためになるわけではないから。「絶対にあの人達のようにはならないぞ」、と思っていましたね。それがGPだからこそ学んだことですかね!昔からの性格なんですけど、たとえ先輩でも先生でも上司でも社長でも自分が納得できてないことや間違ってると思うことに対してYESとは言えない。自分の気持ちにはずっと正直で生きていたいので。

我慢しながら長く生きている時間は無駄だと思っています。従っていた方が穏便に生きられるのかもしれませんが、私の人生、生まれた時から穏便ではないので(笑)。それに、「穏便な人生ってまらなくない?」とも思っちゃいます。

 

――― 偶然の出会いから現在に至るまで、山本社長とのお付き合いはとても長く続いていらっしゃると思いますが、山本社長に対しての思いについても聞かせてください。

山本社長は、私という人間そのものを信用してくれた初めての大人だったんです。私は学歴も職歴もないし、見た目も奇抜なギャルです。日本社会は見た目や学歴、経歴で判断される部分が今もありますよね。そういう時代に山本社長は学歴、経歴関係なく私の「人間としての中身」を見て採用を決断してくれたことが本当に嬉しかったです。

だから、山本社長が窮地に陥るようなことは絶対にさせたくないという気持ちがあります。「社長を守る」そんな気持ちでいつもいて、山本社長には会社を続けるにしろ辞めるにしても、生涯かけて何かを恩返ししたいという気持ちはありますね。

 

――― とても素敵な気持ちですね!最後に、高野さんはこれからどのように生きていきたいか、将来の目標などありましたら教えてください。

いえ、それが私にはないんですよ。夢とか目標を作ってしまうとそれに束縛されてしまうので。その代わり、偶然のチャンスや目の前の波にはしっかり乗ろうと思っています。だからいつも目の前のことを一生懸命頑張る!という気持ちで生きています。

あとは夢や目標ではないかもしれませんが、この人生でできる限りいろいろなことを経験してみたいです。1回の人生でひとつの職業しかできないのは嫌で、可能ならばパイロットや女医さんとか、弁護士や旅館の女将さんとか、なんでもやってみたくて一つに絞れない。とは言ってもこれを全部1回の人生で全部やるのは現実的に不可能だから(笑)色んな職業や経験の人たちと年齢国籍問わずに仲良くしていきたいしお仕事を通して今後もずっと関わっていきたいです。

他にも、肉眼で地球全部見てみたいとも思っています。どの国も隅々まで見て、春夏秋冬全ての季節を経験して……とにかく1回の人生でできること全部やり尽くします!

 

取材後記

雑誌などの企画で「1万文字インタビュー」という企画がありますが、高野さんのインタビューを文字起こしすると、なんと約4万文字に!この事実だけでもどれだけ濃密な人生を歩んできたのかが分かりますが、彼女いわく「私の人生、まだまだこんなもんじゃない」とのこと。きっと高野さんの人生を「うらやましい!彼女だからできたんだ!」と思う方もいるかもしれませんが、今この瞬間に真剣に向き合い続け、まっすぐな心で波に乗ることは誰にでもできることではありません。

まさに「人生は自らの手で切り開くもの」を体現する高野さんの今後がますます楽しみなライターでした。

 

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