日本人よ目を醒ませ! IT革命の先駆者が、今の日本社会に言いたいこと

レッド

written by 内海絵里

若者と企業と世界をつなぐ『グローバルパートナーズ』。

かつて日本社会をIT化へと導いた山本康二さんが、次なる事業として『若者と企業と世界をつなぐ』ビジネスに注目した背景にはどんな思いがあったのでしょうか。

連載でお届けします!

山本 康二 (やまもと こうじ)

山本 康二 (やまもと こうじ)

山本 康二 (やまもと こうじ) 1971年埼玉県生まれ。1995年株式会社光通信に入社。28歳で取締役に就任。インターネット事業部長、法人事業本部長を歴任。2008年には常務取締役に就任。2009年、日本にアリババを誘致し、アリババマーケティング株式会社を創業。代表取締役に就任。2014年、ドバイでリアルな海外進出支援を担う体制に変更する中で商号変更及び会社をMBOし、オーナーとなる。現在YouTube事業では年間30,000本の企業CMを制作しVSEO事業を担う(日本一の制作数)。グローバル人材事業では年間1,000人の外国人を日本企業にマッチング(業界トップクラス)。2021年、ドバイとオンラインにて高校生や大学生向けのスクールを展開し、若者が進路を決める前に、さまざまな世界、大人との出会いを実現している。

第1回
日本人よ目を醒ませ! IT革命の先駆者が、今の日本社会に言いたいこと

第2回
“若者を日本一信じる会社” グローバル人材を育て、世界に誇れる日本を創る

第3回
入社一日目から社長!?日本のグローバル化の鍵を握るのは“イントレプレナー”【最終章】
 

ゼロからのインターネット普及。20代で伝説の営業マンに

ーーー山本さんが今のお仕事を始めるまでに、どんな背景があったのでしょう?

山本 康二さん(以下、山本) :僕は昔から、世の中の「普通の大人」とか「良い会社」っていう価値観に対して、疑問を感じるようなところがありました。

偏差値はトップクラスの高校に入学したんだけど「人間にとって大事なことは何?」って友達に聞くと「有名大学に行き、有名企業に行ったほうがいい!」って言われて。親戚のおじさんや近所のおばちゃんも「どこの大学にいくの?どこに就職するの?」ずーっとそればっかり。

それで就職活動中、“学歴年齢性別一切関係なし”を掲げるベンチャー企業の会社案内を見つけて、「若い人を中心にもっと楽しい会社を作ろう!」っていう雰囲気に、一気にわくわくして入社を決めた。

その会社は、情報通信の商社で、当時はインターネットの普及率は0%。今は当たり前の携帯電話だって、100人中99人はいらないっていう時代。

でも数年のうちにパソコンや携帯電話は爆発的に普及して、気がついたら光通信が日本で一番多くの人にそれらを届けていて、入社して4年半後、売上2000億円の上場企業にまで成長していた。

日本のIT化の遅れも自分たちで解決できたし、学生時代に疑問を感じていた「学歴社会」「年功序列」を自らひっくり返したので、本当に気持ちよかったです。

当時、日本で一番大きかった会社はNTTでした。僕が始めたインターネットのレンタルサーバー事業部では、数千人の若者が「打倒!NTT!日本一へ!」って書いたハチマキをして、サーバー獲得数、独自ドメイン名の獲得数でNTTを抜いて日本一を取ったときは最高でした。

子ども・孫の世代のためにビジネスをやっているか

ーーートップセールスマンから、上場企業の取締役に一気に駆け上がったのですね。

山本:行事で社員が集まるときも大きな会場に何千人もいて、僕が「おはようございます」というとみんなが「おはようございます!」って返すわけ。「すげー、魔法使いみたい!教祖様じゃん!」ってなってさ。年収も良いし子会社もいっぱい抱えて、そんなとき「あれ、この席に居続ける事って、俺自身が昔なりたくなかった年功序列の既得権益者になっていかないか?」って思えて。それで新たな道を探そうという気持ちが芽生えてきたんです。

ーーーえ!そこまで登りつめて辞めちゃうんですか?

山本:スポーツはみんな30代、40代ぐらいで引退するから、常に若い人にスポットライトが当たるじゃん。どんな業界だって若い人がもっと中心となって活躍することが大事だっていうのが僕の持論としてあって。IT業界も、気がついたら有名な金持ちの人がみんな50代60代になってて、これはやばいと思ったの。

日本は工業化社会のステージでは世界をリードしたけど、情報化社会では世界に遅れを取ったよね。1995年くらいから25年間、経済成長率も先進国の中でビリ。老後の年金もほとんど出ないっていう状態までなって、何とか国際競争での遅れを取り戻さなきゃいけない。

僕は、子どもや孫の世代のためにビジネスをやるのが大事だと思ってる。「幸せはお金じゃない」とか「今が楽しければいい」とか言う人達もいるけど、企業が稼いで経済を回していかなければ、医療、教育、治安、社会インフラなどが不安定になって、幸せな生活を送れないのよ。 

日本は海外進出に乗り遅れている

山本:日本がどうして取り残されてしまったかというと、企業が積極的に海外進出をして来なかったことがひとつの原因としてある。「我が社はグローバル化してます!」って言っても、ほとんどの会社がアジアに工場を移して安く物を作ってるでしょ。これだけじゃ、日本のお金が海外に流れるってことで、本当のグローバル化って海外から認められて日本にお金を呼び込まなきゃいけない。

僕は営業をしてきた人間だから、日本では良いものがたくさん作られているなら、それを海外に売りたいって思った。

日本の工業化を支えた大田区蒲田とか東大阪の雇用だって、この20年で4~6割ダウンしてる。だから日本でお金が回らないの。これから人口も増えて購買力が伸びていくアジアやアフリカなどの新興国に向けて、本気で作って売りに行けば日本の製造業だって復活できるじゃん。それがなかなかうまくいっていない。

ーーーうまくいっていないのは、なんでですか?

山本:日本の高度成長期、すなわち半世紀前までは総合商社が海外で新規開拓営業をして販路を作ってくれたおかげで、世界中に日本製品が売れる仕組みがあったんだけど、85年のプラザ合意後の為替変動や“商社不要論”なんかが出てきてからは、商社は投資会社に変わってしまって、新しい製品や企業を海外に広めてくれる仕組みがほとんどなくなってしまったんだよね。

もし商社の活動が続いていたら、例えば温水洗浄便座や携帯電話なんて世界中で売れまくっていたはず。売りに行けば、海外市場にも合わせた仕様や価格で作ったに違いない。そうしたら数十兆円は稼げて日本の成長も続いていたでしょう。そしたら消費税も0%のままだったし、年金ももっと出るし、子育てや教育費の支援もバンバン出来たから、少子化とかいろんな問題が解決できた。

そこで僕は情報通信業界でのキャリアを捨てて、日本企業の海外進出支援を行う当社を創業して、まずはアリババを日本に誘致し、インターネットを活用して海外に売り込みましょう、という営業を始めたんだ。その次は海外バイヤーの集まるドバイで調査と売り込みを始めたの。

アリババって今はアジアで一番大きい会社で、トヨタの4倍の規模なんだけど、当時は日本では知られていなかったんだよね。

ここまでが、僕が捉えている社会問題と、当社が取り組むビジネスの背景です。

爆発的な市場が眠っている貿易都市『ドバイ』

ーーー海外進出支援の拠点としてドバイに注目されたのはなぜでしょう?

山本:中東・アフリカ・インド、このエリアの人口は、今32億人だけど、21世紀中に70億人を超え、その貿易の玄関口として各国から数十万人の貿易商人が集まっているんだよね。

▲「中東・アフリカ・インドの人口は急激に伸びています」(山本さん)。

今まさに、これまで発展途上国といわれた国々が急激な経済成長のステージを迎えていて、新興国や成長国と呼ばれているんだけど、そこには50億人もいて、更にプラス40億人増えると言われている。

日本の企業も、マーケットが飽和して人口が減り続ける国内よりも、何倍、何十倍もの市場規模を持つ海外に売上拡大の活路を求めるべきでしょ?

ドバイは元々何もない砂漠っていう土地だからこそゼロからいろいろなことができて、90年代初めに大手メーカーはすでにドバイに進出して、今はもうSFの未来都市みたいになってるの。

初めて行ったときに、ここだ!と思って、いきなり空港都市にある1200坪のすごい広いビルを借りちゃってさ。よしここを人と商品でいっぱいにするぞ!って帰国してから毎日2回ドバイ進出セミナーをやったんだよね。

ーーーいきなり1200坪とは、、すごい!

山本:1200坪ってテニスコート15面だよ。結局広すぎて300坪しか埋まらなかった(笑)。商品はすぐに数万点集まったんだけど、人が全然集まんなくってさ(汗)。

英語が堪能でもビジネス経験がないとか、ビジネス経験があっても新規開拓営業は苦手とか、それでもってこれからドバイに移住することができる人なんて、どのメーカーさんにも全くいなかったんだよね。僕のセミナーを聞いた人は皆「良いプランだね、参加したいね」というんだけど、お金と商品は出せても人だけは出せないわけ。

日本の企業の社長も部長も製造部も営業部もみんな国内に閉じこもって。海外で楽して儲かるならいいけど、苦労はしたくない。飛行機も乗りたくない、危険なのはいやだ。って、、ドバイって全然危なくなんかないのに。

それで海外駐在経験の豊富な大手企業の営業マンを採用しようってなって、何十人も面接した。でも、海外市場で無名なブランドの商品をゼロから育て上げる経験やスキルはなくて、要求する福利厚生や手当てが驚くほど高いんだよね。

結局、語学、営業・マーケティング、現地駐在が出来る若者を育てるところから先にやらないとってなって、フィリピンのセブ島で社員教育を始めたんだ。

ーーーたしかに居心地の良い日本の中で、若者の冒険心は失われたのかもしれません。

山本:僕は東日本大震災の後に原発事故が起こった瞬間、これはやばい!と思って、日本中にテレアポして太陽光パネルを国内で一番売ったよ。社会の問題を実際に行動して解決していくってことができないと。

「今がいいからまあいいかな」じゃなくて、競争心を持って、次世代のことも考えて仕事をしていく人がもっと増えていかないと。他人事じゃないから、僕が変えていかなきゃって思ったわけよ。

後編に続く。

 

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第1回
日本人よ目を醒ませ! IT革命の先駆者が、今の日本社会に言いたいこと

第2回
“若者を日本一信じる会社” グローバル人材を育て、世界に誇れる日本を創る

第3回
入社一日目から社長!?日本のグローバル化の鍵を握るのは“イントレプレナー”【最終章】
 

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